新しいお札が発行されました。玉藻公園で渋沢栄一さんの関連といえば、なんと言っても披雲閣。どうして?と知らない人が多いネタ。
このことを説明するガイドもいないと思います。関連が薄いと言えば薄いのですが、タイムリーなネタなので披露しましょう。
披雲閣は大正6年に松平家当主12代当主松平賴壽伯が江戸時代にあった松平家の御殿を再建したことは有名でガイドは必ず説明します。
建築を請け負ったのが清水組・・・現在の清水建設です・・・とここもお約束の説明です。
実は、清水組は4代目が明治20年8歳で後継ぎとなったために3代目の遺言で渋沢栄一さんを相談役に迎え大正5年まで相談役を務めています。その間、清水組は大正4年に5代目が引き継ぎます。披雲閣は大正6年の完成ですから、おそらく清水組が松平家から受注したのは渋沢栄一さんが相談役として影響力の大きかった大正3~4年ではないかと推測されます。
当時、清水組は大正から昭和にかけて大建築を多く手掛け、建設業のトップの地位を築いていましたが、渋沢栄一の功績はとても高かったと思われます。
松平家当主12代当主松平賴壽伯は、この頃、貴族院の議員をしていましたので当然、渋沢栄一さんとは交友があり披雲閣建設には清水組を指名したに違いないのでは?・・・と松平賴壽研究家の私の想像です(笑)。